1キャラにつき1夢主
松田・萩原夢は同一世界軸の生存ifです

他活動場所
pass:DCdreAm

 怒りがあった。

 あの嘲笑に、あの無能に。

 大きく深呼吸をする。手錠を掛けられた男はニタリと歓喜に口角を持ち上げ、連行する警察官の制御を振り切って二歩、三歩と駆けるように足を踏み出した。

「ああ、やっと目が合った! どうだ、俺の芸術は! 圧倒されただろう! 全部、全部全部お前のせいで殺す羽目になったんだ! あのガキがビルで吹っ飛んだと聞いたときは歓喜に身が震えたさ! 脱獄の手引きをしてやらないといけないな! そうだ、あのガキもお前に関わったから死んだんだ! お前みたいな死神に――――」

 握り締めた拳を振り上げるよりも速く、サングラスの機動隊員が見事な右ストレートを放っていた。数拍遅れて制止に走った刑事を振り払い、爆発殺人の容疑者の胸倉を掴み上げる。

「お前が勝手に、お前の意思で殺してきたんだろうが!! この人のせいじゃねぇ! お前の身勝手な加害衝動を押し付けんな!!」

 機動隊の男は、ヘルメットをしたままゴツリと頭突きをかました。胸倉の拘束も外れた容疑者はヨロヨロとふらついて尻餅をつく。男に罵声を浴びせられていたかつての先輩は、今まで見たこともない絶対零度の眼差しで地面に転がる爆弾魔を見下ろした。ゆっくりと、先輩が口を開く。男は甘言を確信したような気色に満ちた顔で警察官を見上げた。

「――弁明の言葉は、それだけですか?」

 欠片の感情すら乗らない、温度のない声が男を貫く。興奮に任せて暴れ出そうとした容疑者を飛び掛かって制圧した荻谷律は、同じ被害者遺族であり先輩でもある蝶野瞬を見上げた。

「あとは刑事課にお任せます」

 冷めたままの事務的な台詞に、右ストレートを放った機動隊員はジッっと荻谷――ではなく、容疑者を見下ろした後、その場から立ち去る蝶野を追い掛ける。

「荻谷警部、」
「もう逃すなよ。そんなことになったら、オレがこのゴミを殺しちまう」

 怒りに満ちた低い声で荻谷が言えば、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた刑事が「貴方を殺人犯にはさせません」深く頷いて容疑者を引き受ける。その場に取り残された荻谷は一人、きつく拳を握った。

 ぽたりと、血液が滴り落ちる。


◇◆◇◆◇


 萩原研二が警視庁刑事部捜査第一課強行犯係に配属された翌週の天気は、前日の快晴が嘘のような雷雨だった。ザアザアと降り頻る大雨で、自宅からの出勤者は当然ながら、寮からの出勤者までもがぐっしょりと膝までを雨で濡らしている。それは萩原も例外ではなく、吹き荒れる強風に傘すら無意味と感じたほどだった。

「あら、色男が台無しよ。萩原くん」

 クルクルと回転する事務椅子にぐったりと体を預けた萩原に声を掛けたのは、教育係である佐藤の親友で警視庁交通部交通執行課の宮本由美である。

「いやぁ、流石の萩原クンでもこの天気にゃお手上げ〜ってね」

 まあでも? 水も滴る好い男って言うでしょ。冗談めかしてウィンクした萩原に「爆発物処理班の松田って人が萩原くんに会いに来てるけど、なにか聞いてる?」宮本に続いて顔を出した佐藤が声をかける。

「陣平ちゃんが? この大雨の中わざわざ?」
「オウ、お陰で濡れ鼠だ」

 一歩外に踏み出した瞬間に傘を捨て去ったのかとすら思わせる全身ずぶ濡れの男が佐藤の後ろから顔を出す。これぞまさしく水も滴る――否、ここはシャワールームではない。

 萩原がかける言葉を探していれば、パタパタとバスタオル二枚を手にした女性警察官が松田のあとを追いかけて来ていた。わずかに頬を上気させ、無意識を装った上目遣いでバスタオルを差し出す彼女を無言で眺めた松田は逡巡の後、渋々といった表情でそれを受け取る。これが蝶野からであれば、一も二もなく受け取ったのだろうとまで考えて、己の知る先輩なら問答無用でわしゃわしゃと拭きにかかる確信に苦笑いした。

 無造作に頭を拭きながら窓際に移動した松田は徐に上着を脱ぐと窓を開け、周辺の床と机を雨水まみれにして閉める。彼は一体なにがしたかったのだろう。これには女性陣も呆気に取られて松田を眺めていた。

「陣平ちゃん、服絞るならトイレか流しにしなよ。連れてってあげるからさ」
「……そうだな」

 躊躇いもなく上衣を脱いだ松田に小さな黄色い悲鳴が上がる。茶化しそうな宮本は無反応、佐藤に至っては呆れ半分、怒り半分という様子の半目で松田を睨んでいることから考えて、声の主はバスタオルの婦警だろう。残念ながら、一途で頑固な幼馴染は押せども引けども靡かないぞ、御愁傷様。萩原は松田から露ほどの関心も向けられていない彼女に心中で同情した。

「寒ィ。ハギ、なんか服ねぇか」
「そんな都合良くあるわけないでしょ。ホテルじゃないんだから」

 大体そんな豪快に濡れてんなら自業自得もあるだろ。松田を水場まで連れて行った萩原が呆れながら言うと、松田は事も無げに「途中で傘が壊れたから捨てて来たんだよ。ボロだったし」服を絞りながら言い返す。

「んで、なんでわざわざこんな天気の日に来たの?」
「直近の休みが今日だったんだよ」

 冷静に考えてみれば、幼馴染の格好は仕事服ではなく完全に私服だった。ふむと、萩原は自らの顎に手を添える。

「俺と先輩がいなくて寂しくなっちゃった? 陣平ちゃん意外と寂しがりだよなァ」
「るせぇ、そんな理由じゃねーよ」

 そっぽを向いた松田が大きなくしゃみをした。突然の音に行き交っていた数人が驚いてこちらを見たが、見慣れぬ半裸の男に怪訝な顔をするだけで素通りしていく。

「資料室どこだ。爆発物関連の」
「えぇ? 特殊犯の管轄だから――」

 ふわりと、萩原の視界に灰色の影が横切る。しっかりと松田が受け止めたそれは夜道でも安全そうな灰色のベンチコートだった。飛んできた方向に視線を向ければ、泣きぼくろに半目で口角を下げた黒髪の男が気怠そうに佇んでいる。男は視線を向けたまま無言で固まる二人を前にペラりと手慣れた様子で警察手帳を提示した。

 警視庁刑事部捜査第一課特殊犯捜査係――通称SIT部隊警部補、荻谷律。

「見てて寒ぃから着てろ。んで、こっち。蝶野さんから聞いてる」

 呆気に取られる二人を置いて遠ざかる荻谷の背中を松田が追いかける。身長は松田の方が低いだろうか。なにかを思い出したかのように歩みを止めた松田が萩原を振り返る。

「……ハギ、来週どっか空けとけよ」
「んぇ、りょーかぁい」

 萩原がひらりと手を振ると、松田は元の方向に体を戻して右手を振った。その手の中には、折り畳み式の携帯電話が握られている。

 ――蝶野さんから聞いてる。して、一体なにを。湧き上がった好奇心に、萩原は二人のあとを追うことにした。


◇◆◇◆◇


「去年の爆発事件だろ。捜査資料こっちにあるからさ」

 未だ絶賛捜査中、という荻谷の口振りに、松田はサングラスの下で目を細めた。そもそも取り逃したのは、風羽先輩を死なせたのはアンタ達の責任じゃないのか。そう言い募ろうとして、蝶野の病室に押し掛けた警察官の中に目の前の男がいなかったことを思い出す。

 部下に責任を押し付けて謝りに行かせ、風羽の部下である爆処の人間が来た時だけ捜査してる風を装っている可能性も、ないとは言い切れない。なにせ松田と荻谷は初対面である。

「報道内容を統制しときゃよかったんだ、アレは。初めからうちに回されてりゃそうしたよ」

 松田の敵意を汲み取った荻谷が溜息をつく。

「怒りも後悔も、復讐心もある。これはあの人たちの元部下の総意と言っても過言じゃない」

 蝶野さんは、それぞれの職務をまっとうしろと言うだろうけれど。淡々と、荻谷は言った。

「……あの人は、それも含めて自分の判断ミスっつーだろうな」

 そういうところが、放っておけないんだよ。言外に松田が込めた感情を汲み取ってか、荻谷は重い前髪の隙間から松田をじっとりと見て、興味を失ったように目を離す。

 なるほど確かに、手助けをしてやらないとなにを仕出かすか分かったものではない。どうしてこうも厄介なのを引くんだ、あの人は。視線を天井に向けた荻谷は呆れたように溜息をつき、自分自身もまた厄介側の人間であったことを思い出す。

 松田の意識が捜査資料に向いたことを確認して、後をつけてきていた様子を伺うような気配に視線を向けた。どうやらバレていないつもりらしい。まるで探し物をするような素振りでわずかに開いていた扉へ近づいた荻谷はおもむろに扉を開く。バッチリと、硬直した萩原と目が合った。

「バレバレだっつの」

 わずかに目を見開いた松田が荻谷を振り向き、その奥に苦笑を浮かべる萩原の姿を確認してさらに驚く。意識を割いていなかったこともあるが、まったく気配を感じなかった。

「えぇ〜、いつから気付いてたんすか?」
「? お前、隠れるつもりもなくずっと後ろいたじゃねえか」

 萩原は言葉を失い、視線を天井に逸らした。蛍光灯が一つ、消えたままになっている。
 まさか初めからバレていて泳がされていただけだったとは。萩原は荻谷との刑事経験の差を思い知った。

 荻谷が静かに息を吐く。

「あの事件のあとに特殊犯希望する機動隊員、しかも爆の奴っつったら理由やら目的なんざ聞くまでもねえけど、言い訳しとく?」
「え……え〜、だって、刑事でもない陣平ちゃんだけ情報集めが進んじゃったらズリィじゃん? 尻尾掴めたら陣平ちゃん、なにするか分かんねぇし」

 一理ある。荻谷は小さく頷いた。

「まあ、元機動隊のよしみだ。目暮さんに言い訳くらいはしてやる」

 きらりと目を輝かせた萩原は「荻谷さん……!」感激しきったように荻谷を見下ろす。黙って二人のやりとりを見守っていた松田は溜息をついて捜査資料探しを再開した。

 そもそも今回の本庁訪問に関して、松田は蝶野に連絡を取った覚えはない。現に松田は捜査一課に移動した萩原を当てに来訪したのだ。行動を読まれる程度には向けられていた関心が、困らせて玉砕された松田には嬉しかった。

「気が済んだら声掛けろよ」

 革靴の音が二人から遠ざかっていく。元々正式に頼まれていたわけではないらしいことを察した松田と萩原はとりあえずといった形で相槌を打つと、二、三離れた棚の辺りでその足音が止んだのを確認した。

 おもむろに捜査ファイルを手に取った松田の手元を萩原が覗き込む。口を引き結んだまま無造作に開かれたのは、去年の十一月七日、風羽至の殉職した事件の報告書だった。記された内容は、おおよそ病室で聞いたものばかりである。

 一度爆弾のタイマーは止まった。それは萩原が一番よく知っている。あの日あの現場で、その爆弾と向き合っていたのは他でもない萩原で、別の不審物処理や暴力、発砲沙汰とあちこちで立て続けに起きた事件を片付けて、慌ただしく応援に駆け付けた先輩の一人が爆風に呑まれた。それはあまりにも、あまりにも一瞬のことだった。

 閉まる防火扉、初めて聞く蝶野の鬼気迫る声。フロアが吹き飛んで、爆風の余波から庇ってくれた先輩の体越し、防火扉の向こう側に残った先輩の、命が爆ぜた。遺体は、その一部の骨すらも残らなかった。

「萩原?」

 無意識のうちに奥歯をきつく噛み締めていた萩原は、親友のその声で自分が真っ直ぐに見つめられていたことに気が付く。サングラス越しでも分かる眼差しにはわずかながらはっきりと心配が含まれている。

「いやぁこの日、携帯も吹っ飛んで壊れちまったんだよなって」

 退院後、二日程経ってから、萩原は当時最新型の二つ折り携帯を購入した。おかげでそれまで登録していた友人知人、同期や先輩後輩の連絡先と、メールのやり取りはすべて跡形もなく消し飛んでしまっている。松田との共通の知り合いの連絡先までは復旧できたものの、生憎と違う学校で過ごしていたために高校時代までの先輩後輩の連絡先は復旧できず仕舞いだ。大学以降の知り合いにしたって、松田は萩原と違い滅多に連絡先を開け渡さなかったし、そもそも交友関係を広げようという意思があまりにも希薄だったために、あの爆破事件以降、疎遠になってしまった知り合いは多い。それでもさして萩原が困らなかったのは、その中に今でもどうしても連絡が取りたいと思うような相手もいなかったからだ。あの携帯の中に、風羽の連絡先や二、三通のメールがあったのなら、惜しいと思ったかもしれない。

 怪訝な顔で見上げる松田に、萩原は近くの捜査ファイルを手に取った。調べ尽くされた上での進展なしである以上、やたらと爆発物関連の事件が起きてはいるものの、目的の事件と関連のありそうな調書はなさそうだ。

「戻ってくると思う?」

 なんの話だと言わんばかりの眼光が萩原を刺す。どうやらあまり触れられたくなかったことらしい。ヘラリと笑った萩原は「蝶野センパイ」わざとらしくその名前を声に出した。分かりやすく眉間に皺を寄せた松田は、まるで自分に言い聞かせるように頭を振って溜息をつく。

「尊敬できる上司の栄転は、送り出すべきだろ」

 心にも思ってなさそうな松田の声と顔に萩原は思わず声を出して笑った。ギロリと不満に満ちた双眸が萩原を睨み付ける。

「素直に〝寂しい〟って言えばいいのに!」
「ッ俺は、」

 ガタリと、棚が音を立てた。音の発生源を見遣れば、目を据わらせた荻谷が二人を眺めている。深い、溜息。怒られる、と萩原は咄嗟に言い訳を考えた。

「資料室で騒ぐな。目ぼしい資料もねーなら帰んな」

 穏やかに、呆れたように放たれた言葉に、松田は黙ってファイルを棚に戻す。じっとしていられなかった結果、捜査の進展や新しい情報も得られないことを分かった上で来訪した松田は真っ直ぐに荻谷を見た。

「なんか進展があったら教えてください」
「それは構わねぇけど。お前ちゃんと蝶野さんの言うこと聞けんの?」
「は、」
「ちゃんとできるって言ってくんないとオレが先輩に怒られちまう」

 暗に言質を取らせろと宣う荻谷に松田は面食らった。この男は、自らの現在の上司から捜査情報の漏洩を追及された時のためではなく、蝶野への弁解のためにと言っている。

「この件に関してあの人から指示があるなら、従わねー道理がねぇだろ」

 そりゃそうだ。松田の不躾な態度を咎めることもなく、あっさりと契約が成立した。颯爽と資料室の出口に向かう荻谷の後に続いた松田が立ち尽くした萩原を振り返る。
 はたと、松田の気迫に気圧されていた萩原は二人の背中を追いかけた。

 資料室を出れば、荻谷は一課特殊犯、松田は本庁の出口、萩原は一課強行犯と向かう先がそれぞれ分岐している。ふと、松田との別れ際、荻谷が思い出したように立ち止まった。行き先が途中まで同じ萩原も立ち止まる。

「その上着、あとで返せよ」

 ひらりと、松田が片手を振って応えた。管轄違いとはいえ上官にその態度はどうなんだ。荻谷でなければ叱責ものだっただろう。やれやれと松田を見送った萩原は、呆れたように溜息をついて歩み直した荻谷の後ろ姿をぼんやりと眺めた。

 果たして、蝶野と荻谷の関係とは。かつての爆発物処理班の先輩後輩、というだけで蝶野が連絡を取るだろうか。そもそも二人とも交通課をはじめとした所属していない課の女性警官から絶大な人気があるにも関わらず、その連絡先を知る人間はほとんどいないと言っても過言ではない。尤もそれは萩原の親友であり幼馴染でもある松田陣平も同じように女性警官からの人気は高く、機動隊員とすらろくに連絡先を交換している相手のいない松田の連絡先を知っている相手もいないわけであるが。

「――あ、萩原くん」

 つまり、そういうことである。なにかと広く浅く交友関係を持っている萩原を頼る人間は、多いのである。


◇◆◇◆◇


 決して萩原研二という男に女性人気がないわけではない。事実萩原は女好きを自称しているし、それに乗っかって口説かれてくれる女性も数多くいる。そんな彼女たちも別に顔が良ければ誰でもいい、という軽薄な女性ではなく、真剣に向き合って考えてくれる素敵な女性たちばかりではあるのだが、付き合う期間が一定を超えるとなぜか決まって別れを切り出されてしまう。嫌がることをした覚えはないし、彼女が不安がるということであれば仕事で必須になる女性以外の連絡先はすべて消した。行きたい場所があると言われれば予定を立てて、その費用は一銭も払わせなかったし、些細な会話から好きなものを選んで贈ったりもした。

「……重っもて〜男」

 ウィスキーグラスを片手に呟く荻谷の無情な言葉に萩原は机に顔を突っ伏した。

 カラリと、グラスの中で氷が音を立てる。

 飲み会の参席者に荻谷と松田、蝶野の名前を挙げた女性の期待に応えて唯一参加した荻谷は女性陣に取り囲まれ、適当に相槌を打ちながらも二次会の誘いはバッサリと断っていた。それでも諦め切れないのか、ストーカーの如く荻谷の後を追いかける女性を駅へと誘導しながら見事に撒いた釣れない男を捕えることに成功した萩原は、満面の笑みで飲み直しを提案したのである。

 萩原とて荻谷の気を引こうと必死であった女の子や、男女問わず単純に交友関係を作りにきた参席者に興味が湧かなかったわけではないが、荻谷や自分を介して蝶野の話を聞きたがる相手に対して「あの人から名前も出ない奴にペラペラ喋るわけねぇだろ」の一蹴があまりにも鮮やかすぎて感心を持っていかれたのだ。こういう義理堅いところや飲み会参加への希少性から、性別を問わない人気があるのだろうと推測する。荻谷の女性人気については、重い前髪が隠してこそいるが、わずかに吊り上がった涼しげな目元や色気すら感じる泣きぼくろ、スラリと通った鼻梁に綺麗な形の唇だけでなく、ほどよく鍛えられた体格も影響しているだろうけれど。

「本気なだけなのにぃ〜」
「オレはそういう重い子の方が好きだけどな」

 さらりと言った荻谷はゆったりとグラスを傾ける。黄金色の液体が薄く開いた唇の隙間に流し込まれていく。

「それ、おれのことくどいてます? おぎやさん」
「どうだろうな」

 ふにゃふにゃと呂律も怪しくなってきている萩原の頭を撫でた荻谷はだし巻き玉子を箸で摘んだ。一息に口の中に押し込んで咀嚼していれば、萩原から熱視線を向けられていることに気が付く。ものは試しにもう一切れ摘んで萩原の口元に運ぶ。数秒迷ってから開けられた口の中にだし巻き玉子を放り込む。
 静かに口を動かして嚥下した萩原はむくりと体を起こして手近にあったグラスを煽った。

「蝶野先輩とどういう関係なんすか!」
「高校時代からの先輩後輩」

 荻谷はあっさりと答えて塩タレのついたキャベツを口に運ぶ。む、と眉間に皺を寄せて荻谷を睨んだ萩原は、面白そうに差し出されたキャベツに齧り付いた。くつくつと笑った荻谷は焼き鳥を串から外して萩原の口元に持っていく。またしても素直に口の中に消えていく食べ物に荻谷はついに腹を抱えて笑った。

「な、なにが面白いんすか!」
「いや、だってお前、餌付けじゃねーかこんなの。可愛いな」

 まるで親鳥になった気分だ。今与えたのは鶏肉であるが。目尻を拭った荻谷は焼き鳥を咀嚼しながら不満げに見つめてくる萩原を見つめ返す。意識的に笑みを作って小首を傾げてやれば、悔しそうに口をへの字に曲げた萩原の頬がわずかに赤らんだ。

 これはイケるな。柔らかく垂れた目尻もはっきりとした太い眉毛も、先の飲み会のときに見た弾けるような笑顔が可愛ければ、この不満そうな顔もまた可愛い。これは恐らく困惑した顔も可愛いだろう。人となりはまだ不明であるが、あのコミニュケーションに難のありそうな機動隊員との仲は良好そうであるし、そもそも(一等大切な幼馴染の殉職があったとはいえ)蝶野があっさりと他の部署――しかも本人の予定では特殊犯に送るつもりだったのだから、人当たりが良いだろうことも察しがつく。まさしく百点である。提出直前の調書を故意にシュレッダーにかけられてもその顔面の良さで許すだろう。流石に怒るべきではあるが、作り直せばいいものに目くじらを立てるものでもないだろうと擁護する気さえする。

「萩原くんさ、なんでオレと蝶野さんの関係が知りてぇの?」
「………………ダチの応援がしたいから」
「あ、そ」

 友達思い。加点に決まっている。今後ともぜひそのお友達と良好な関係を築いていってくれ。
 荻谷の脳内で繰り広げられる会話とは裏腹に、素っ気ない相槌に萩原は拗ねたようにまた机に突っ伏した。興味がないなら聞いてくるなよ、という心持ちである。

「……付き合ってた時期はあるな」
「え」
「卒業までの厄介払い。あの人、律儀にオレの卒業まで恋人役やってくれたんだよな」

 荻谷にとって蝶野は芸能人の如く整った顔も掴みどころのない性格も好みではあったのだが、本人の徹底した契約関係という線引きと彼の幼馴染による絶対零度の威嚇に恋愛感情が湧くことすらなかった。利害の一致さえなければ、そのおっかない男を彼氏役にしたらどうですか? と口走っていたことだろう。契約関係を持ち出した当初、より深い共通点が結ばれることになるとは夢にも思わなかったし、もし過去に戻ることができるのであれば、その共通点自体を排除すると断言できる最悪なものであるが。

 過去を懐かしむようにウィスキーグラスを傾けた荻谷に萩原が胸を撫で下ろす。

「格好良いよな、あの人。萩原くんも好きだろ?」
「そりゃあ尊敬してますよ、命の恩人すから」

 目を細めて微笑む荻谷を薄目に眺めた萩原は、幼馴染や先輩と並んでも見劣らないだろうその容姿にほんのわずか見惚れた。ばちりと視線が合って目を逸らす。連絡先教えてよ。差し出された携帯電話の画面を確認した萩原はおずおずと赤外線通信を受信した。
 電話帳から新しく登録された男の情報を確認する。あ行に見当たらないその連絡先に一つひとつページを切り替え、見覚えのない名前に指を止める。春風律。

「……春風?」
「妹がくれたんだよ」

 寂しそうに笑う荻谷に萩原は言葉を詰まらせる。過去を懐かしむその顔に、萩原は触れられなかった。